今の立ち位置とか

自分が何を考えているのか、ついつい日々目の前のものに向き合っているとふと忘れてしまうことが多いと感じたので、書き留めておこう。

自分の元々の関心は、子どもが学校で何を経験しているか、だった。もちろん子どもは学校で勉強していると言ってしまえばそれまでだが、そういったテストで測定出来るものとは別に何かを学んでいる/経験しているのではないかというのが元々の関心だった。だから学校文化研究とか、研究手法としてのエスノグラフィーとかに興味を持った。

学校教育経験を考える時にどのようなスパンで考えるかというのも問題だった。その時にどう経験したかを考えるのか、それとも卒業してからその経験をどう振り返るかを考えるのか。

それで色々探っているうちに、どうして子ども(といっても学校段階としては中等教育を想定しているが)が学ぶのか、どういう意味付けを学びにしているのかが関心の中に含まれることが分かった。しかしこれもまた難しい問題で、もちろん学びの意味を直接子どもに聞くわけにもいかないし、教師の信念みたいな話と違って行動から解釈をするのも難しい。

そこで逆に考えてみた。学びの意味が感じられない状態って何だろうと。それは例えば「学びの疎外」と言われる状況だったり、「学びからの逃走」と言われる状況だったりするのではないかと。それとつながるのが批判的教育学というか、クリティカル・ペダゴジーの分野だった。

どういう授業を行えば、子どもが学びに意義を感じられるのか。それはおそらく報酬などの学び以外の要素で釣るなどでは不可能だろう。「学びのために学ぶ」という状態がやはり理想的である。そのような「学びの必然性」を作る授業の条件は何だろうか。色々考えられるだろうが、今のところその一つの要素として子どもと教師の関係性というか、ポリティクスみたいなところに着目することも出来るかもしれないと考えている。

まあでも他の条件も考えられるよね。とりあえずこんな筋道でここまで考えてきたんだということを残したかったので、残しておきます。まる。

目白から徒歩30秒

皇族が中退したことで評判のところへ行ってきました。授業事例検討会です。社会科の授業見たかったので、次回も是非顔を出そうと決めたのでした。

飲み会も楽しかった。あんなに間近でS先生とお話出来るとは……。改めて研究頑張らなきゃなあ。本もあんまり強迫観念を持たずに、こつこつ読もうと思います。