検索の検索

平たくいえば、図書館とかのレファレンスにこの頃興味を惹かれていて。院生なのに、(自分では折にふれて講習会とか言ってたつもりなのだけど)あんまりレファレンスを使いこなせていなかったなあと。特に見つかりづらい深層Webと言われるようなところが、すぐ手の届くところにもかかわらず見落とされていて猛省していたり。とりあえず初歩的なところから言うと、百科事典はきちんと引くようにしたいと思った。

調べることを調べるというか、検索を検索するというか、そういうある種メタな検索みたいなものが結構ニーズあるんじゃないかなあと思う。

とりあえず自分について言えば、最近色々な深層Webにあたるものを掘り出しては「おー」という感じになっているので、自分が手を伸ばしてすぐ手に取れたらいいなあと思うものについては、マイリンク集を作っておいてもいいかなあという感じ。はてブだとちょっと見返しづらいしね。

大学で使えるデータベースも含めれば、本当はかなり良質な情報にアクセス出来る環境にいるはずなのに、すごくもったいないことをしてきているなと痛感している。RSSとかの情報収集の仕方も改めて考え直そうと思う。未読管理が必要なもの(=漏らさず読みたい、それほど量のないもの)と、必要のないもの(=流して目に入れば十分、かなりの量があるもの)は区別して受け取りたいし。

ジレンマ

高校の同級生とお昼。渋谷で中華粥。元気そうで良かった。しかし、どんどんみんな就職していく……。これからは社会人になった人と次第に疎遠になっていくのかなあと思うこの頃。

大学に戻ってからは修論……でもあまり進まなかった。今まで読んできたものをきちんとした文章に再構成するのに意外と時間がかかる。ただ、まずはちゃっちゃと書いてみて、それから丁寧に加筆していくっていう方がいいのかなあ。うーん。来週の面談に間に合う気がしない。

フリースクールを義務教育として位置づけるニュース。国の制度に組み込まれると子どもの選択肢として選びやすくなる面はあると思うんだけど、公教育として位置付けられることで規制・制約を受ける面があるとかえってフリースクールの持ち味が殺されてしまうというジレンマがあるのではないだろうか。というのは、ある学校がフリースクールから学校法人化する際にかなり葛藤を抱えた(抱えている)みたいな話を呼んだことがあるので……。なかなか難しいところですね。まあそもそもイリイチ的に言えば、フリースクールだって結局学校やんみたいなツッコミはありうるのかもしれませんね。

まあこんなことを思っちゃうのは、イリイチを改めて読みなおしているからでもあります。頑張ります(?)

10周年

本日でこのブログも10周年を迎えました。ぱちぱち。更新頻度は減ってきていますが、それはまあ自分の状況も、そして社会の状況も変わったってことでご容赦ください。

このブログを始めた頃はまだ中2で、中2病の真っ盛りみたいな感じでした。今は今でM2病で治る見込みなしって感じですが……。「10年一昔」とよく言いますが、2005年っていうのがあんまり昔という感じはしないんですよね。携帯電話は既にそこそこ普及していましたし、まあパソコンもそこそこ普及していましたし、ネットもそれなりに生活に浸透していたと思います。ただ、TwitterやFBといったSNSもなければ、YouTubeもまだ世に出ていない、スマホはもちろんなく、ブログの全盛期だった2005年と比べれば時代は確実に変わっているんだなあと実感するところもなくはないです。

(追記:振り返ってみれば、Livedoor Blogから始まって、さくらVPSも途中で契約変更して引っ越してるので5代目の敷地なんですね……。)

自分自身はあんまりこの10年で成長した気はないのが残念ですが……それでもどうせ3日で終わるだろうと踏んでいたブログが、色々な偶然が重なって10年という節目を迎えられたこと、特に昨年末で一度閉めようかと考えていたことも相まって、じわじわと嬉しいような気がしています。

今日は大学で修論を書いておりました。きちんと1ページ書くのも結構大変。明日は急に高校の同級生と会うことに。呼ばれるうちが花なので行きます。

あと内田良先生の『教育という病』読了。少しくどいところもあったけど、エビデンスに基いて(そしてエビデンスから言えないことはきちんと科学の壇上から下りて)論じていて分かりやすく良かったです。ただ、最後の柔道事故ゼロは喜ばしいことではありつつ、「ゼロ」というスローガンの持つ危うさみたいなのも少し感じました。

〈教育〉の社会学理論

昨日(もう一昨日だけど)の話。バーンスティン勉強会に出た。勉強会と言っても、自分を含め3人しかいなかったけど……。

難しいけど、読んでみると不思議と分かるようなところもある、といった趣があるみたいな話はこの間のエントリにも書いたけど、まさにそんな感じ。ただ、勉強会に出たことで分かるようになったところも大きかった。まずこの本のタイトルでもある〈教育〉。いわゆる教育実践よりもはるかに広いものを指していて、文化の再生産-生産が生じる基底的な社会的文脈なんだとか。でまさにサブタイトルに並んでいるような、象徴統制やらアイデンティティやらが大きく絡んでくると。

まだしっかりつかめていないかもしれないけど、権力による「分類」と統制による「枠づけ」という概念は非常に便利。特に「枠づけ」っていうのは、実際の授業を見る中でも感じられそうで面白い概念。修論にもちょっと生かせないかなあ。

あとはバーンスティンの理論・実証との付き合い方が面白かった。理論のメガネで実践を見てモノを言うだけではダメで、実際の出来事から読み取れる意味が先に来なきゃいけないということ。しかしその解釈の妥当性は理論との兼ね合いにあるし、理論が先にあってこその実証研究(実際実証研究に役に立つような理論を先に作った上で実証研究をし、さらに理論を磨く姿勢で研究がなされている)というスタンスっぽい。理論に重きを置きつつ、研究される側の再記述という倫理的な問題も視野に入れているのがさすがだと感じた。

全部が全部読み込めたわけじゃないけど、さすが世界的に有名な社会学者だけあって、その蓄積の一部でも自分にとっては非常に大きな収穫であった。久冨ゼミの人たちで作ったやつとか、バーンスティンの理論に基づいた実証研究をもっと色々見てみたいところ。

しかしまあ、難しい取っ付きにくい本でもかぶりついて読んでみるものだなと思った。確実に少しずつそういう本を読む体力みたいなのがついてくるような気がする。

意外と現代的

明日の勉強会に備えて、バーンスティンを読んでいるこの頃。原著は1996年で少し前。書き方は結構抽象的で比喩表現が多いのだけど、内容は不思議と分からなくもない。何より驚くのは、現代の日本を取り巻いているような問題に関して結構触れているところ。例えば学問領域の問題や、G型・L型だのの高等教育の二分化とか。特に後者については、もちろんそういう言葉は使っていないけど、内部投入的なアイデンティティと外部投影的なアイデンティティという区別をしていて、非常に興味深い。

あと平行して、内田良先生の『教育という病』を読んでいる。「組体操」と「2分の1成人式」のところはもう読み終えていて、今は体罰問題。内田先生の科学との付き合い方や、教育問題との向き合い方に見習うところ多しという感じ。

体罰を「暴力」という行動レベルで表すことで議論がしやすくなるというのは面白い。これは苛烈なケースの「いじめ」問題にも言えそうな気がする。

教育と権力

8月3日。お昼を上野の肉の大山で食べてから大学へ。修論の序章と、1章・2章のイントロを書いた。きちんと出典を明記した上で書いていくとなかなか時間がかかるという当たり前な話。でも書いてみると進むことは進むので、やはり書いてみるに限るなあと思いました。博士課程行ったらますますそうなる(=実際に論文の形で書けるところから書く)のかな。作業用BGMでポップンの曲聴いてたけど意外と捗った。

アップルの『教育と権力』を読み終わった。なんかうーん、単純な再生産理論を否定し、そのプロセスが矛盾に満ちたものであるということを言っているにとどまっている気がして、根本的なところではウィリスから進歩がなくないか……?と思ってしまった。この原著の時点だと、ジルーの方がよっぽど実践に距離が近かったように見えるのだけど……まあ時が経つにつれ、立ち位置が変わっていったのかなあ。まあでも、こういう抽象的な批判的カリキュラム研究の本でも一通りきちんと読めたのは自信につながったのでよしとしよう。