まだ振り返る時じゃないだろう

なんちゃって。年末恒例の振り返りエントリを書きたいのですが、タイトルはかっこつけただけで、単純に修論でそんな余裕がとてもありません。また新年に稿を改めて?させてください。

今年もあんまりブログ更新出来なかった気がしますが、それでもこのブログが縁となった話もありましたので、相変わらず細々と残していけたらと思います。まずは目の前のことを頑張ります。
皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお迎えください。

iMac

買いました。先日登場した、Late2015の21.5インチ Retina 4Kモデルです。待ち遠しかったので嬉しかった。設定も一通り終わったので、早速使っているところです。カスタマイズは、256GBのSSDと16GBのメモリです。長く使うものなので、それなりに投資しました。

El CapitanはTeXが心配だったのですが、なんということもなく導入からフォント埋め込み設定まで出来ました。これを可能にしてくださった方々には頭が上がりません。これを機にMBPの方もEl Capitanにしてみたのですが、こっちは動作が思わしくないのですよね。困ったなあ。

今まで11年間部屋にあったデスクトップは17インチだったので、21.5インチはさすがに大きいですね。27インチとなったらどうなってしまうのやら。これも10年くらいは使うつもりで使い倒したいと思います。

神田古本まつり

行ってきました。実はなんだかんだ神保町に足を運ぶこと自体が初めてだったり。本当はさらっと目当てのものを探すつもりが、一日仕事になってしまいました……。

市の形で出ているのは、ほとんど文学・文芸で、次に人文(特に思想・歴史系)が多い印象でした。社会科学は少し少なく、自然科学はもっと少なかったですね。まあ一般の方に親しまれるものが外に出ている感じでしょうか。

古書はマケプレでも買えると言えば買えるのですが、やっぱり古本屋の本の方が古書は古書でも綺麗に管理されているなという印象でした。状態も手に取って分かるので、マケプレみたいに届いてからあれれということもありません。ここら辺の事情を考えると、目当ての本がしかもそこそこの保存状態で定価くらいの半額で手に入るのはなかなか悪くないなと思います。

文芸書はさすがによく読まれているのか、状態もそこそこ劣化しているものが多いですが、学術書は前の持ち主が良いのか、全然読まれなかったのか、下手すると図書館の蔵書よりも状態が良いようなものが格安で手に入ったりする感じでした。

社会科学系の良さげな感じの本を扱っている店も見つけたので、これからも機会を見て、手に入りづらい本を目当てに訪れてみたいなと思います。

少しずつ前向き

特に何があったわけじゃないけど、少しメンタルが上向いてきたような気がする。まあ今日たまたま修論がよく進んだからってのもあるかもしれませんが。少し自信みたいなものがついたような。

なかなか人生は思うようにはいかないけれど、なんとかこんな感じで新年までやっていけたらいいなあ。

ワンカラに行った

土曜日のことですが……。この日は弟の運動会のお弁当を作る関係で早起きをしたので、ついでに早めに東京に行って出来ることを探しました。そこで、これをチャンスとして上野のワンカラに初めて行ってみました。

結論から言うと、素晴らしかったです。確かに室料は高いのですが、フリータイムで行けばまあまあのコスパかなあと思います。ドリンクバーも飲み放題ですし、マイクやヘッドホンもいい感じで、満足度の高いヒトカラが出来ました。

ヒトカラ自体は、もちろん普通のカラオケ店でも出来るのですが、普通のカラオケ店よりもヒトカラをするのにストレスがないのが個人的にはストライクでした。例えば、混雑に関係なくヒトカラを受け付けてもらえて人目を気にしなくていいとか、店員さんがコールをしてこないとか、部屋に鍵をかけられるのでトイレなど席をはずす時に荷物の心配がいらないとかですね。このクオリティが体験出来るなら、ヘビロテは無理ですが、何ヶ月かいっぺんに行ってみても良いかなという感触でした。

Kindle洋書のページ問題

が解決したかもしれないという話。

Kindleはレイアウトが固定されているものを除けば、基本的に文字サイズなどを変えることが出来ます。したがって「ページ数」という概念が極めて希薄です。実際、Kindleでは、位置Noという独特のもので書籍内の位置を管理しています。

これは文芸書やらコミックやらを趣味で読む分にはどうだっていいのですが、こと学術目的で読むとなると話は別です。文献について言及しようと思った時に、ページ数が分からないと引用のしようがありません。最近のKindle本の中には、実ページ数の表示が可能なものもあると言えばあるのですが、自分が言及したい文章が2ページにわたっている可能性などもあるわけで、やはり厳密さには難があると言わざるを得ません。そのため、研究のお伴とするのには若干心許ない印象でした。

まあ和書は買ったらいいんじゃないと思っていて、じゃあ洋書も買えばいいじゃないかという話なんですが、洋書はペーパーバックだと紙の質があまり良くなく持ち運びに耐えないものも多かったりするんですね。あと読むのに辞書が必要なことを考えると若干取り回しが悪い。Handbookの類のように分厚ければなおさらです。また、洋書は和書に比べて価格が高いものも少なくありません。出来れば積極的にKindleを利用していきたいところなのですが、このページ数の問題がほぼ唯一のネックでした。

しかし、洋書について言えば解決策がないわけでもないようです。それはAmazonの「なか見!検索」です。和書もこの機能があるものもあるのですが、Kindle同様洋書の方が凄まじく普及しているようです。この機能を使って、検索語句を入れるとページのプレビューが出るんですね。これで参照したい部分のページ数の確認をすることが出来ます。

また、Google Booksでも同様のことは出来ます。が、「なか見!検索」の方が見たい本に決め打ちでページ数を調べたいという時には扱いやすいかなという印象でした。

長期的には、Web版のKindleなどで実ページプレビュー機能が付く、あるいはアカデミアの方が電子書籍に対応する(=ページという概念に必ずしもこだわらない参照方法を取る)というようなことも考えられるとは思いますが、当面はこれで凌ぎたいと思います。特に後者は、これからの電子書籍の展開によっては直面する問題で、Kindle本やe-journalなど電子媒体でのみ提供されるのみのコンテンツを参照する必要性が出てきた場合に避けて通れない問題となるでしょう。

「なか見!検索」、孫引きにならないように該当箇所を参照するのにも使えるでしょうし、Kindle本を買ってからもページ数を調べるのにも使えそうです。かなり背中を押された気がしたので、洋書についても、繰り返し参照をすると思われる文献に関してはKindleを活用して積極的に手元に持つ習慣を付けていきたい所存です。

手を動かす

修論もいよいよ本腰を入れなければならないわけですが、それにしても骨格は決まりつつもどう書いていいのやら、エディタの前でフリーズしている状態が続く。

こういう時はめっちゃ逃げたくなるのが自分の性なのだけれど、そんなことしてたら何年あっても修論書けないわけで。そこで最近気がついたのは、とりあえずどうにもならなくなったら文献を読むか、ノーツや録音などのデータと向き合うなど手を動かすと良いっぽい。とりあえずしばらくその方針で行こうと思う。

伊勢・志摩旅行

シルバーウィークということで、20日から22日に行ってきました。お天気に恵まれてよかった。

1日目

新幹線で名古屋→近鉄で松阪→伊勢市へ。まずは外宮から。早速荷物預り所の列にびびるが、よく見ると列の進みが速い。辛抱して並ぶと意外と早く順番が回ってきた。宿に配送を頼む。これにて一日身軽に過ごすことが出来た。この日一日を通して、観光地としてのストレスが全くなく、伊勢の人や環境が観光地としてかなり整備されているということを実感した。

まずは外宮からお参りする。厳かな雰囲気を予想していたのだけど、とにかく人通りがすごくて、慌ただしさの方が優っていた感はあった。1時間ほどで一通りのお参りを終え、今度は内宮へ。しかし内宮へのバスは50分待ちとのこと。天気が良いのはいいんだけど、さすがに炎天下で50分も待つのは耐えられない。レンタサイクルも出てしまったらしいので、タクシーの場所を観光案内所で聞く。そうしたらいい感じの列が連なっているタクシー会社があったので、そこに並ぶ。さらに運の良いことに、前に並んでいた夫婦が相乗りを提案してくださった。結果的にバスより安く、かつ予定よりはるかに早い時間に内宮に到着することが出来た。これは本当に幸運だったと思う。

内宮に着いてから、また一通りお参りをする。ここも1時間強くらいだったか。心なしか外宮よりも人が多い様子。一通りお参りするとかなり歩いたので、しばし休憩所で休憩。そしておかげ横丁での食べ歩きへ向かう。おかげ横丁と言っても、そこまでの間にかなり長い道のりがあり、そこでも食べ歩きをした。記憶では、サザエのつぼ焼き、ソフトクリーム、牛串、牛肉をはさんだライスバーガー、横丁サイダーあたりを食べた。おかげ横丁では、念願の赤福氷を食べることが出来た。最初のうちは人通りが多かったが、だんだん日が落ちてくるにつれて、次第に人も少なくなってきた。

夕飯は伊勢市駅周辺のホテルのレストランで食べた。鵜方へ行き、宿に帰って就寝……といってもとなりの関くんまで見てしまったので、かなり遅くまで起きていたわけなんだけども……。

2日目

朝からまずは賢島へ。エスペランサ号に乗ってクルージング。外の空気が非常に気持ちよくてよかった。途中では真珠の核入れ作業も見ることが出来た。降りたあとは、志摩横山まで戻って横山展望台まで。徒歩で行ったが3kmの道のりはアップダウン(主にアップだが)が激しく、予想以上に大変だった。その代わり、着いた時の絶景はひとしおであった。高いところから景色を見ること自体は別に珍しいものではないが、リアス式海岸という地形特有の景色は新鮮だった。帰りは下り坂が主ということもあり、行きよりかはずっと楽だった。また徒歩で鵜方に戻り、スペイン村のムーンライトパスポートの時間を待ちつつ、鵜方駅の喫茶店で昼食。ここで伊勢うどんを食べる。15時半ごろに定期運行バスでスペイン村へ。

スペイン村は遊園地でありながらも、スペインの文化や歴史の紹介についても充実していた。さまざまに歩き回りつつ、およそ20年ぶりにメリーゴーランドに乗ったりした。パレードも綺麗だった。終バスの都合があったため、閉園時間ギリギリまではいられなかったが、最後に急いで船に乗るアトラクションにも乗った。遊園地デートというのはこの年になって初めての経験だったのだけど、結構楽しめた。

3日目

朝早めにお土産を買い、宿を出て鵜方へ。お目当ては近鉄特急の切符。めでたく買えたので乗り換えなしでそのまま名古屋まで。名古屋からはあおなみ線に乗って金城ふ頭まで。リニア・鉄道館へ。リニア自体の展示も面白かったけど、個人的には新幹線を取り巻く設備の紹介が興味深かった。ジオラマは人が多くて見ることが出来ず残念だった。あと、運転シミュレーターの抽選がものすごい倍率でびびった。

リニア・鉄道館を見終わると、またあおなみ線に乗って名古屋に戻った。エキナカできしめんを食べる。その後駅の近くのカフェ・ド・クリエでまったりして、新幹線に乗って帰った。

電子書籍と紙の本 つづき

とりあえず以下のような運用方法を考えてみた。(典型的な形から入るタイプ)

  • 文献(和書)……普通に紙の本を生協で買う
  • 文献(洋書)……Kindle化されてたらKindleで買ってKindleで読む。なかったらマケプレ。ページ数の問題は何とかする
  • 論文……基本は紙で、こまめに電子化
  • 文芸……Kindleで買ってKindleで読む
  • コミック……Kindleで買ってiPadで読む

辞書についての考察

生協の青土社フェアに乗じて、ユリイカの2012年3月号をゲットして読みました。どの記事も興味深かったですが、特に参考になったのは電子辞書と紙の辞書の在り方です。私自身、編集が紙の辞書を基にしているため、これらは両立すると思っていました。

色々な論考を読む中で、電子辞書はピンポイントつまり「点」で「引く」のに便利ですが、紙の辞書の方が「線」で「読む」のに便利なのだなというのを実感しました。そういう意味で用途別に使うと良いのかなと。

ただ、紙の辞書と違って、電子辞書になるとあまり量的な制約がなくなるのは一つあるのかなと思います。例えば項目数を多く出来ますし、語釈もゆとりある形に出来ます。でもかと言って項目を増やせば、語釈を長くすればいいのかというとそれもまた利便性としては微妙ですよね。全部が全部日国みたいな規模の辞書になればいいってもんじゃないと思いますし。制約がないからこその難しさみたいなのもあるんじゃないかななんて思いました。

電子書籍と紙の本

また更新が空いてしまいましたね。この頃は職場で期末試験があり、成績処理で地獄でした。ようやく山を越えたっぽいので、本格的に修論を仕上げていきたいと思います。夏休み中せっかくそれなりにコツコツと書き進めていたのに、すっかりこの頃は筆が止まってしまっていていかんいかんという感じです。

さて、修論を書くにあたって、入手が容易な文献に関してはいつでも参照出来るように、やはり手元に置いておきたいなあという気持ちがあるわけですが、そういえば昔Kindle Paperwhiteを買ったわけです。あいにく自分はクレジットカードを持っておらず、その点でかなり使い勝手は微妙なのですが(というか半分化石になりかけています)、それでもせっかく持っているのだからうまく使いたいという気持ちがないわけではありません。

そこでどういうものを電子書籍で、どういうものを逆に紙の形で持っていたら良いのかをこの頃考えているところです。例えば自分の今持っている電子辞書はCASIOの2014年モデルの中の最高モデルなのですが、辞書というのは常に手元にあって欲しい「金で買える実力」なので、紙の本の優位性はもちろん否定されるものではないと思いますが、やはりどこでも使える強みというのは確かにあるなあと思います。

自分が電子書籍についてぼんやりと考えているのは、次のようなことです。

  • いつでも携帯して参照出来るようにしておきたい(=繰り返し参照する性質を持つ)ものが向いてそう
  • 一般書籍では、かさばるけどある程度頻繁に参照するものに向いてそう
  • あるいは文庫本のようにかさばらないけど、あまりスペースを取りたくないもの?
  • 漫画本は読みたい時に持ち歩くのはだるいと思うタチなので、個人的にはKindleを積極的に使いたい
  • 売り切れや発送がないため、電子書籍が存在して決済手段があれば、一瞬で入手出来る
  • ただし、固定レイアウトでない限り、参照箇所を論文などで明示することが難しく、引用する際には結局原典にあたる必要が出てくる
  • 大前提として対応していない書籍は自炊しない限りは使えない(ただし洋書は最近かなりKindle対応が増えているのを実感する)
  • いつでも持ち歩ける分、サービス停止や技術の進歩などリスクがないわけではないというトレードオフ
  • ↑を両立したければ、紙バージョンも合わせて購入する必要がある

逆に紙の本についてぼんやりと思うのは、次のようなことです。

  • 他の本と比較・並行して参照しやすい
  • 引用をする際の参照に特に困難がない
  • 図書館で複写・貸出の形で入手出来るのは必然的に紙媒体
  • 持ち運びに困らないサイズであれば、個人的には書籍の形の方が読みやすい気がする
  • 購入して手に入れてしまえば、紛失しない限り手元からなくなるリスクはほとんどない

参照の問題さえ解決すれば、電子化のメリット自体は大きいと感じています。特に場所を選ばないことは重要だと思います(また、国会図書館が近頃積極的に電子化を進めているように、資料保存の観点からもメリットはありそうですね)。書籍と比べて論文はなおのこといつでもどこでも把握して持っているということの難易度が高いように感じます。機会を見て積極的に電子化してEvernoteに突っ込んで、極力いつでも参照出来るようにしています。

また、電子書籍になっていない古い文献も、一応図書館で複写をしたものをスキャンすれば簡単にPDFにしてEvernoteに突っ込んで手元に置いておくことが出来ます。これはまさに書籍のデータをそのまま電子化したものですから、参照にあたって何ら問題は起こりません。これを発展させると、究極的に言えば借りてきた本や買ってきた本を全ページスキャンすれば、非破壊自炊ならぬ電子化が一応出来るわけですが、それはさすがにコストと便益がつりあわないような気がします。電子化したものは参照するだけならいつでもどこでも出来て便利なのですが、ひと通り目を通すなど読書用途にはお世辞にも使いやすいとは言えず、やはり不適だと思われます。今執筆しているところに関連して、さしあたって頻繁に色んな場所から参照したいものについてのみ、スキャンして電子化してEvernoteに突っ込んでおくくらいがせいぜいでしょう。やはり基本は書籍の形でストックしておくのが良さそうです。

最後に最初の問いに立ち戻って、現時点で電子書籍を活用出来るもの=参照の問題に直面しない書籍ってなんだろうって考えると、文芸や漫画などの娯楽系(の中でも繰り返し読みたくなるようなもの)もしくは参照することが孫引きにあたるために直接参照することが考えにくいもの(=二次文献)かなあと思います。後者は例えばHandbookとかのレビューもの、あるいは事典のようなものです。

現時点では、ガッツリ全部読むというよりは必要に応じて繰り返しある部分を参照するものの方が、自分の電子書籍との付き合い方に合っているかなあと思っています。これは漫画でもそうで、二次文献じゃないですけど、ストーリーの展開の縛りがそれほど厳しくないオムニバスな形式の漫画の方が自分の使い方には合ってそうです。まあそういうコンテンツに限って、いざ探してみるとKindleにないんですけどね……w

検索の検索

平たくいえば、図書館とかのレファレンスにこの頃興味を惹かれていて。院生なのに、(自分では折にふれて講習会とか言ってたつもりなのだけど)あんまりレファレンスを使いこなせていなかったなあと。特に見つかりづらい深層Webと言われるようなところが、すぐ手の届くところにもかかわらず見落とされていて猛省していたり。とりあえず初歩的なところから言うと、百科事典はきちんと引くようにしたいと思った。

調べることを調べるというか、検索を検索するというか、そういうある種メタな検索みたいなものが結構ニーズあるんじゃないかなあと思う。

とりあえず自分について言えば、最近色々な深層Webにあたるものを掘り出しては「おー」という感じになっているので、自分が手を伸ばしてすぐ手に取れたらいいなあと思うものについては、マイリンク集を作っておいてもいいかなあという感じ。はてブだとちょっと見返しづらいしね。

大学で使えるデータベースも含めれば、本当はかなり良質な情報にアクセス出来る環境にいるはずなのに、すごくもったいないことをしてきているなと痛感している。RSSとかの情報収集の仕方も改めて考え直そうと思う。未読管理が必要なもの(=漏らさず読みたい、それほど量のないもの)と、必要のないもの(=流して目に入れば十分、かなりの量があるもの)は区別して受け取りたいし。

ジレンマ

高校の同級生とお昼。渋谷で中華粥。元気そうで良かった。しかし、どんどんみんな就職していく……。これからは社会人になった人と次第に疎遠になっていくのかなあと思うこの頃。

大学に戻ってからは修論……でもあまり進まなかった。今まで読んできたものをきちんとした文章に再構成するのに意外と時間がかかる。ただ、まずはちゃっちゃと書いてみて、それから丁寧に加筆していくっていう方がいいのかなあ。うーん。来週の面談に間に合う気がしない。

フリースクールを義務教育として位置づけるニュース。国の制度に組み込まれると子どもの選択肢として選びやすくなる面はあると思うんだけど、公教育として位置付けられることで規制・制約を受ける面があるとかえってフリースクールの持ち味が殺されてしまうというジレンマがあるのではないだろうか。というのは、ある学校がフリースクールから学校法人化する際にかなり葛藤を抱えた(抱えている)みたいな話を呼んだことがあるので……。なかなか難しいところですね。まあそもそもイリイチ的に言えば、フリースクールだって結局学校やんみたいなツッコミはありうるのかもしれませんね。

まあこんなことを思っちゃうのは、イリイチを改めて読みなおしているからでもあります。頑張ります(?)

10周年

本日でこのブログも10周年を迎えました。ぱちぱち。更新頻度は減ってきていますが、それはまあ自分の状況も、そして社会の状況も変わったってことでご容赦ください。

このブログを始めた頃はまだ中2で、中2病の真っ盛りみたいな感じでした。今は今でM2病で治る見込みなしって感じですが……。「10年一昔」とよく言いますが、2005年っていうのがあんまり昔という感じはしないんですよね。携帯電話は既にそこそこ普及していましたし、まあパソコンもそこそこ普及していましたし、ネットもそれなりに生活に浸透していたと思います。ただ、TwitterやFBといったSNSもなければ、YouTubeもまだ世に出ていない、スマホはもちろんなく、ブログの全盛期だった2005年と比べれば時代は確実に変わっているんだなあと実感するところもなくはないです。

(追記:振り返ってみれば、Livedoor Blogから始まって、さくらVPSも途中で契約変更して引っ越してるので5代目の敷地なんですね……。)

自分自身はあんまりこの10年で成長した気はないのが残念ですが……それでもどうせ3日で終わるだろうと踏んでいたブログが、色々な偶然が重なって10年という節目を迎えられたこと、特に昨年末で一度閉めようかと考えていたことも相まって、じわじわと嬉しいような気がしています。

今日は大学で修論を書いておりました。きちんと1ページ書くのも結構大変。明日は急に高校の同級生と会うことに。呼ばれるうちが花なので行きます。

あと内田良先生の『教育という病』読了。少しくどいところもあったけど、エビデンスに基いて(そしてエビデンスから言えないことはきちんと科学の壇上から下りて)論じていて分かりやすく良かったです。ただ、最後の柔道事故ゼロは喜ばしいことではありつつ、「ゼロ」というスローガンの持つ危うさみたいなのも少し感じました。

〈教育〉の社会学理論

昨日(もう一昨日だけど)の話。バーンスティン勉強会に出た。勉強会と言っても、自分を含め3人しかいなかったけど……。

難しいけど、読んでみると不思議と分かるようなところもある、といった趣があるみたいな話はこの間のエントリにも書いたけど、まさにそんな感じ。ただ、勉強会に出たことで分かるようになったところも大きかった。まずこの本のタイトルでもある〈教育〉。いわゆる教育実践よりもはるかに広いものを指していて、文化の再生産-生産が生じる基底的な社会的文脈なんだとか。でまさにサブタイトルに並んでいるような、象徴統制やらアイデンティティやらが大きく絡んでくると。

まだしっかりつかめていないかもしれないけど、権力による「分類」と統制による「枠づけ」という概念は非常に便利。特に「枠づけ」っていうのは、実際の授業を見る中でも感じられそうで面白い概念。修論にもちょっと生かせないかなあ。

あとはバーンスティンの理論・実証との付き合い方が面白かった。理論のメガネで実践を見てモノを言うだけではダメで、実際の出来事から読み取れる意味が先に来なきゃいけないということ。しかしその解釈の妥当性は理論との兼ね合いにあるし、理論が先にあってこその実証研究(実際実証研究に役に立つような理論を先に作った上で実証研究をし、さらに理論を磨く姿勢で研究がなされている)というスタンスっぽい。理論に重きを置きつつ、研究される側の再記述という倫理的な問題も視野に入れているのがさすがだと感じた。

全部が全部読み込めたわけじゃないけど、さすが世界的に有名な社会学者だけあって、その蓄積の一部でも自分にとっては非常に大きな収穫であった。久冨ゼミの人たちで作ったやつとか、バーンスティンの理論に基づいた実証研究をもっと色々見てみたいところ。

しかしまあ、難しい取っ付きにくい本でもかぶりついて読んでみるものだなと思った。確実に少しずつそういう本を読む体力みたいなのがついてくるような気がする。

意外と現代的

明日の勉強会に備えて、バーンスティンを読んでいるこの頃。原著は1996年で少し前。書き方は結構抽象的で比喩表現が多いのだけど、内容は不思議と分からなくもない。何より驚くのは、現代の日本を取り巻いているような問題に関して結構触れているところ。例えば学問領域の問題や、G型・L型だのの高等教育の二分化とか。特に後者については、もちろんそういう言葉は使っていないけど、内部投入的なアイデンティティと外部投影的なアイデンティティという区別をしていて、非常に興味深い。

あと平行して、内田良先生の『教育という病』を読んでいる。「組体操」と「2分の1成人式」のところはもう読み終えていて、今は体罰問題。内田先生の科学との付き合い方や、教育問題との向き合い方に見習うところ多しという感じ。

体罰を「暴力」という行動レベルで表すことで議論がしやすくなるというのは面白い。これは苛烈なケースの「いじめ」問題にも言えそうな気がする。

教育と権力

8月3日。お昼を上野の肉の大山で食べてから大学へ。修論の序章と、1章・2章のイントロを書いた。きちんと出典を明記した上で書いていくとなかなか時間がかかるという当たり前な話。でも書いてみると進むことは進むので、やはり書いてみるに限るなあと思いました。博士課程行ったらますますそうなる(=実際に論文の形で書けるところから書く)のかな。作業用BGMでポップンの曲聴いてたけど意外と捗った。

アップルの『教育と権力』を読み終わった。なんかうーん、単純な再生産理論を否定し、そのプロセスが矛盾に満ちたものであるということを言っているにとどまっている気がして、根本的なところではウィリスから進歩がなくないか……?と思ってしまった。この原著の時点だと、ジルーの方がよっぽど実践に距離が近かったように見えるのだけど……まあ時が経つにつれ、立ち位置が変わっていったのかなあ。まあでも、こういう抽象的な批判的カリキュラム研究の本でも一通りきちんと読めたのは自信につながったのでよしとしよう。

読書メモとか

一昨日くらいに『子どもとカリキュラム』を読了。意外とありきたりな内容というか、系統性の重要性を認めつつ、子どもの経験の重要性と支援の必要性を説いてた印象。『学校と社会』よりもそもそも短いのと、テーマが一貫していた分読みやすかった。『民主主義と教育』はボリュームは多いけど、やはり代表作だし、何より何故か手元にあったので(自覚しないでぽんぽん本を買っている証拠……w)近いうちに読もうと思う。

特に研究に直接関わる場合、読書メモを残しておくのが有用というか不可欠なんだと思うんだけど、どうしたらいいかなーとずっと迷っていた。でも考えてみたら、Evernoteのメール投稿機能があったことを思い出した。ガラケーからでも送れるし、当分はこれを使ってみようかなと思う。

7月22日

巡回バイトやって論文指導ゼミ出た。『学校と社会』読了。まあ楽観に過ぎるところはあれど、やっぱりデューイ好きだなあと思った。しかし邦訳で読むと、述語までどっちなのか分からなくて読みづらいことこの上ない……。引き続き『子どもとカリキュラム』を読む。

『教育と権力』を第2章まで。分かるような分からないような……難しい。マルクス主義にじわじわ染まっている気がする(気がするだけ)。
一応今日のゼミで夏休み前の「授業」は終わり。毎日大学行かなくてもいいかなあ……と迷い中。

7月21日

デューイの『学校と社会』を引き続き読み、明日発表のドクターの人の論文を読み、アップルの『教育と権力』を読んでた。とにかく手を動かすしかないね。

お昼はメトロで冷麺だったんだけど、当然夕方にはお腹が空いてしまった。空腹に負けてサブウェイでたまご食べて帰った。

6月31日

今日は結構心に余裕のある一日だった。なんでだろうね。久々に会う人もいて、じっくりと話したり。でも色々大変そうだったなあ。

苫野さんの『教育の力』を読み始めた。今のところ特に違和感なく読んでる。あと読書会に誘われたから、ギアーツの『文化の読み方/書き方』を買った。あんまりポンポン本買わないようにしてるはずだったんですががががが。

劣等感みたいな

社会人になった友人たちと会うのは楽しい一方で、劣等感みたいなものも強く感じる。みんな立派なんだよなあ。

もう少し自分に甘くしたら気が楽になるような気もしつつ、でも現状でも十分甘いじゃんみたいにも思ったり。あーあーあ。

ずーんと

M2になってからどうも心がふさぎ込む日々が続く。なんかどうも今までのアイデンティティみたいなものを構成していた部分がM2になってなくなったからだろうなあとぼんやり思う。困ったね。でもすぐに解決するもんでもないしなあ。いやはや。

授業を見て

修論のフィールド調査が始まった。今日は4時間分ずっと授業を見た。

授業は正直、傍から見ていてすごく楽しかった。授業研究とかのコースにいるけど、授業を見ていて楽しいって思うことは正直ほとんどなくて、新鮮だった。生で見ているということも関係しているのかな。やっぱり教材の引き出しの数が全然違うし、組み立てがすごいしっかりしてる。本当に退屈させられない授業ですごかった。ああいう授業を受けたかったし、作ってみたいなあと思う。

ただその一方で、レールがしっかりしていると、そのレールを外れた学びみたいなのが起こるのが難しいなあと。でもレールを外れた学びに全てを任せるのはもちろん無謀だと思うし、組み立てがしっかりなされていることは否定されるべきじゃないと思う。デューイのいわゆる子ども中心主義だってなすがままにすることをよしとするわけじゃないし。ここら辺がもやっとしますなあ。でもやっぱり、あれだけしっかりした授業を作れてこそ、レールが外れても実りがある学びが生まれてくるのかもしれないし、そういう瞬間が見られたらなと思った。

今の職場は正直制約が結構大きいのだけれど、自分も仕事頑張ろうと思った。いい刺激になりました。

仕事と研究と

あっぷあっぷな日々が続いております。

将来のキャリアとか考えているような考えていないようなだけど、多分裁量の大きい仕事が好きなんだろうなあと思うこの頃。まあいずれにせよ今は努力するのみですねー。
明日から修論のフィールド調査です。どうなることやら。

学振とか

ご無沙汰してます。生きてます。

M2ということで(?)、学振出しました。様々な方に力を貸していただいたので、通って欲しいと思いつつ、こればかりはどうにもならないのでまああとは天命を待つという感じです。ただ書いてみて色々と勉強になったことは多かったので、残しておこうかなと思います。

  • 言われたことをきちんと書く
  • この辺はまあある意味当たり前だとは思うのですが、かなり意識しないと意外と難しいところでした。特に見出しをきちんと付けるようにすると、審査員にとって分かりやすいこともそうなんですが、書いていく中でも全体の構成が分かりやすくなるので良かったです。

  • 結論を先に書いて、詳細はその後に書く
  • 「結論から言えば……」とは書きませんけど、その項目の要旨を最初に書いてしまう方が読みやすいのかなと思います。その項目の答えをずばり言った後に、詳しい説明とか、その答えの理由とかを言う感じです。

  • ワンパラグラフに一つの内容
  • まあその方が読みやすいですよね。

  • 実現性をアピール
  • 例えばもうフィールドとかとつながりがあるなら、その旨を書くとか。学会発表をする予定も、学会の名前や時期を明記しておくとか。

  • 特色・インパクト・独自性はそれ自体を言うだけではダメ
  • 項目立てて書いているとその項目の通り書けて便利なんですけど、特色・インパクト・独自性についてはそれらがあることをただ言うだけではダメっぽいです。そういう特色・インパクト・独自性があると、どういう意義があるのかも含めて言わなきゃいけないということです。でないと、しょうもない独自性かもしれないという可能性を排除出来ないからなんでしょうね。多分、研究方法とかについても意義が書けているに越したことはないと思うのですが、特にこの項目は意義をプッシュすることが大事そうです。

結果はどう転ぶか分かりませんが、以上のことは申請書を書いているうちに学んだことです。良い結果になるといいのですが、まあ切り替えて修論頑張ります。